PRINTS
大島成己
『Figures- Black Banister and Black Hair/01』
新しいシリーズ作品は人体をモチーフとしている。これまで風景、静物を主なモチーフとして撮影してきたが、人体はほとんど扱ったことがなかった。1990年から数年間、写真製版シルクスクリーンで黒い人影のイメージを何点か制作したものの、誰かを特定できない黒いインクの皮膜として人影を表すだけだった。人体というモチーフは写される人の社会的な背景、文脈が強く表れてくるので、そうした意味文脈を相対化した果てで表現を開始した僕にとっては、人体を扱うのはとても厄介で、ずっと避けてきたモチーフだった。
しかし、今回、あえて人体を選んでみたいと思うようになったのは、人体固有の触覚的な塊への興味とともに、haptic green シリーズで見いだした技法の可能性を実験的に展開してみたいと考えたからだった。この技法はクローズアップした無数のショットをスティチングで統合し、物の部分・細部の関係を取り結んで事後的に全体を表すことができる。そこで現れてくるのは、求心性の強い全体がまず措定されて部分がそこに隷属する関係でなく、様々な部分がまず主張し、それらが関係を取り結んで全体となる関係だ。つまり部分と全体が拮抗する緊張関係に対象を持ち込むことができる。ここに従来の写真表現とは別の新しい可能性があると考えている。
今回、この技法を通じて、部分と全体が拮抗する関係において人体の触覚的表面を表現したい。それは人を記号的に理解、解釈 するのではなく、言葉で現しがたい触覚性において捉え直すものだ。と言っても、その触覚性を抽象的な、あるいはアノニマスな存在として完結させるのではなく、そこにその人の固有性が浮かび上がるにようにしていきたい。その固有性とは社会的な意味、ステータスから離れたところでのその人自体の存在性で、それを捉えることにおいてしか、人体という厄介なモチーフを扱う可能性は無いのではと思えている。
2015年10月 大島成己
© Naruki Oshima, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
しかし、今回、あえて人体を選んでみたいと思うようになったのは、人体固有の触覚的な塊への興味とともに、haptic green シリーズで見いだした技法の可能性を実験的に展開してみたいと考えたからだった。この技法はクローズアップした無数のショットをスティチングで統合し、物の部分・細部の関係を取り結んで事後的に全体を表すことができる。そこで現れてくるのは、求心性の強い全体がまず措定されて部分がそこに隷属する関係でなく、様々な部分がまず主張し、それらが関係を取り結んで全体となる関係だ。つまり部分と全体が拮抗する緊張関係に対象を持ち込むことができる。ここに従来の写真表現とは別の新しい可能性があると考えている。
今回、この技法を通じて、部分と全体が拮抗する関係において人体の触覚的表面を表現したい。それは人を記号的に理解、解釈 するのではなく、言葉で現しがたい触覚性において捉え直すものだ。と言っても、その触覚性を抽象的な、あるいはアノニマスな存在として完結させるのではなく、そこにその人の固有性が浮かび上がるにようにしていきたい。その固有性とは社会的な意味、ステータスから離れたところでのその人自体の存在性で、それを捉えることにおいてしか、人体という厄介なモチーフを扱う可能性は無いのではと思えている。
2015年10月 大島成己
© Naruki Oshima, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
- 所属:Yumiko Chiba Associates
- 制作年:2015
- エディション:3
- プリントサイズ:1150×900mm
- 特記事項:YCA-NOSH-FG05